2016年10月8日土曜日

10年付き合った彼氏にフラれた話

初めに書いておきます。
このブログは私の経験や考えたことを、消化不良にならないように書いている。
このブログを検索かなにかで私と同じように長い期間お付き合いして残念なことに別れてしまった方が読むこともあるかもしない。
けれど、あまり期待しない方がいい。

なぜならば、このブログは実際にあったこととそのときの私の心情を思い出しながら書いているだけなので、立ち直るためやよりを戻すための参考になる確率が限りなく低い。
現状完璧に立ち直ったとは言えないし、復縁はしていないし今後することもないと思う。
なので、読むならばあまり期待しないで暇つぶし程度の気持ちでいてほしい。

10年付き合った彼氏がいた。
4歳年上で、付き合った当初はとても大人に見えて、本当に大好きだった。

彼は過去の彼女に何回も浮気されたということからか、嫉妬深くよく行動を制限された。
普通なら行動を制限され、友人との時間を削られたらうんざりするところなのかもしれないが、彼はいろんな場所に連れて行ってくれたり、興味を持った物を押し付けがましくなく共有しようとしてくれる人だったことと、まったく正反対の性格に日々退屈せず、あまり気にならなかった。


だけど、若い時分は友人たちが自由に遊んでいるのを見ると、不満が顔を出すこともあった。
そういうときは無理矢理遊びに行くこともあった。
そのたびに衝突したので、主にその繰り返しに嫌気がさし、9年目にさしかかったところで一度期間を決めて距離を置くことで話をつけた。
距離を置くと言っても、なんだかんだで月1回は会っていたから、このまま付き合いは続いて行くという自信があった。


距離を置く期間が終わる頃、それでは元に戻りましょうかというときに、彼は爆弾を落としてきた。
その爆弾を、私は一生忘れることはない。
私の恋愛至上、彼のこの爆弾以上にダメージを受けることはこの先も含めて絶対にない。
それくらい、衝撃的だった。
それは呪いのように私の人生に絡まっていまだにほどけない。


その日、世の中はクリスマス。
その年、私は29歳。
別れの言葉は、メール。

あり得ない。
言葉を失う。
10年。タイトルにも書いているし、序論のところでも書いてるが、私たちは10年付き合った。
20代のすべてを彼と共に過ごしたのに、別れの言葉はたった十数行。

女性だからという訳ではない。現代の日本に住む人間にとって、20代は人生の要だ。
学生から社会人になり、初めて大人として扱われ、職場ではいろんな年代の他人と長い時間を過ごすことになる。
新しい経験をして、他人の人生を見て、自分の人生をどう生きるのかを考えて決める時期。
その時期をすべて一緒に過ごしたのに、それを十数行で終わらそうとするとは。

もちろん、メールだけで納得できるはずのない私は彼に泣いて縋り、会って説得とを試みたが、改めて振られるという形で彼との恋は幕を降ろした。
10年という彼との期間は、あっけなく終わった。

彼に別れを告げられたのはクリスマスイブなので、ちょうど会社が年末年始の休みに入り、1週間は仕事に行かなくて良かったのが救いだ。
その年末年始の記憶は何もない。
人は大きなダメージを受けると記憶が抜ける。防衛本能はすごい。
マンガや映画の世界だと思っていたが、現実にあり得る。

その年の年末年始はただひたすらに掃除をしていた。
起きると勝手に涙が流れ、夢かもしれない、彼から着信やメールが来ているのではと携帯を手に取りメールボックスを開くと、十数行の文章が現実に引き戻す。

何もしていないと時間が過ぎて行かないみたいで、ただひたすらに掃除をしていた。
泣きながら、洋服から置物からよくわからない書類や使わなくなった電化製品、化粧品などをゴミ袋へどんどん突っ込んだ。
結局すべてに彼との思い出があり、また泣いたが、仕事始めまでには外に出れるようになった。

当時は実家に住んでいたので、親は生気のない顔で朦朧としつつも食事とトイレ以外リビングに来ず、ひたすらに掃除をしている私を不気味に思ったことだろう。
仕事が始まって、会社の人には痩せたと言われたけど、別れたことは気付かれなかった。
携帯電話の機種変をしたり、捨てた分を取り戻すように洋服を買いあさったり、彼と二人で過ごしていた時間を埋めるために飲み歩いたりした。
少しずつだけど新しい日常を作る努力をした。

彼からの別れは、はっきり言って納得できる物ではなかった。
彼の考えや別れという答えを出すに至った経緯が曖昧だったからだ。
優しいと言うか、ヘボいところがある男性だったので、悪者になりたくなくて逃げ道を残している印象だった。
それがまた悔しくて、最後くらいかっこよく悪者になれよと今でも思っている。
そうすれば、彼が悪者になる勇気を持ってくれたことに覚悟を感じ、こちらだって彼の意思を尊重しておとなしくかっこよく引き下がれる。
彼に対する好きの種類が変化し、心の中の大事な人としての元カレスペースを作ることができるのだ。

彼はそれすら許さず、私に大きな消えない爪痕を残して行った。
元カノにいつまでも複雑な感情を残すことは、男としては勲章なのかもしれないけれど人間としては汚点だろ。

本当に本当に大好きで、素敵な人なのに壁を感じさせず心の底から安心できて私をこの世界の一番なんだと思わせてくれる人だった。
彼のような人に今後出会えるのか自信がない。

そういう関係になれるよう、自分が努力をしないといけないのは理解しているが、メールで振られたからにはそうそうかっこいい女に進化することは難しい。
彼の最後の大きな爆弾の呪縛から逃れるのはまだまだ先かもしれないし、明日にはぽろっとほどけるかもしれない。

できるだけ早くほどけますように。

2016年9月21日水曜日

自転車に乗っている人に壁に追いつめられた話

高校生のころ、学校から帰宅途中に知らない男性に殴られたことがある。
男性というか、まだ中学生くらいの男の子。

その日は学校からまっすぐ家に帰っていた。
夏だったこともあり、まだ日はまったく落ちておらず、たぶん夕方5時〜6時ごろだったと思う。


まっすぐな道を500mほど歩けば自宅に着くという所にさしかかったとき、前方から自転車に乗った中学生くらいの男の子がやってきた。そのとき彼の異常性には気付いていなかった。

彼が私の横を通り過ぎた後、しばらくして後ろから自転車に乗った男の子に追い越された。
その男の子は前方にある居酒屋の広めの駐車場でUターンしてこちらに向かってきた。

そのとき彼の行動に不審を覚えて顔を見ると、先ほど通り過ぎた男の子だと気付いた。
変だ。
そこは歩道も広く、主要道路に近くて目印になる建物も多かったので迷うような道ではなかった。

あいつ何やってんだ…?
と思いながら彼の動向を見ていると、彼もこちらを見据えている。見据えながら、こちらに近づいてくる彼はどんどん加速していた。
そのときの私は不審には思っていたものの、まだ危機感は抱いておらず、どうしたんだろ。急用思い出したのかな。などと能天気に考えていた。
加速して近づいてくる彼との距離が10mくらいになり、私は彼に幅寄せされていることに気付く。

私の左側はフェンス。右側には自転車に乗った彼。よけられない。
そんな状況になっても、私はまだ近いなくらいにしか思っていなかった。


彼が私の真横を通り過ぎる瞬間、彼は右ひじが背中につくんじゃないかというくらい大きく振りかぶり、私の右肩を殴って通り過ぎて行った。
私はフェンスにぶつかりながら、このためか!と思った。
殴られた後振り返ったが、加速を続けていた彼はすでに走っても追いつけないくらいの距離にいた。彼は振り返らなかった。
しばらく呆然としたが、どうしようもないのでとぼとぼと自宅への道をまた歩き出した。
家族にも友達にもそのことは言えなかった。

私は毎日同じことを続けるのが苦手なので、帰り道もいくつかルートがあった。
なので毎日その道を歩く訳ではないけれど、彼を見たのはその日が初めてだったと思う。なので、彼から恨みを買うような覚えももちろんない。
当時はなぜ私だったのか、なぜ赤の他人を殴るという行為に走るのかわからなかった。

今考えてみると、中学生くらいだと自分とその他の人間は違うのだと思いがちだけど、その延長線上の行為だったのだろう。いわゆる中二病というやつだ。
その周辺は貧しい家庭が多い地域で、校区内の中学校は昔から荒れていると有名だったので、ただ武勇伝が欲しかっただけかもしれない。もしかすると、ただ単にむしゃくしゃしていただけなのかもしれない。
いくらでも理由は思いつく。もちろん理解はできないけど。

そこで、ぼーっとした顔でとろとろと歩いている女子高生は格好の獲物だったのだろう。
私は彼から見たら、彼より弱い人間に見えるということだ。

確かに、彼の判断は正しかった。
私は殴られても彼を追いかけることもせず、走り去る後ろ姿を見つめて、見えなくなったらとぼとぼと歩いて帰るしかできない女だった。
しかも、当時はなぜ周囲の人間に言えなかったのかわからなかったのだが、それも今ならわかる。
彼が判断したように、自分が他人に弱い人間と判断されたと知られることが恥ずかしかったのだ。

これはいじめの構図に似ていると思う。
いじめっ子は自分より弱いと思われる人間を探し標的にする。
いじめられっ子は自分が誰かに弱いと判断されたことが恥ずかしくて、周りの信頼できる人に話せない。
相談できない理由はこれだけとはいえないけれど、人間が生きていくうえで尊厳は大切だ。
誰かにこいつは自分より弱い人間と判断され、攻撃されるということは、その尊厳が踏みにじられるということだ。
それを自身で認め、あまつさえ家族や友達に伝えることは簡単ではない。
自分という人間の、人間らしさが侵害されていると口にするのは誰しも容易くないはずだ。
尊厳や人間らしさの重要性は、大人になった今ならわかる。


私は女性なので、殴り合いの喧嘩など幼い頃に兄弟とやった程度で、ある程度成長してからは人を本気で殴ったことも殴られたこともない。成長して殴られたのは、後にも先にも彼からだけだ。
殴られた右肩は、その時はもちろん痛みを感じたが、思っていたほど長くは続かなかった。
今ではその痛みがどんなものだったかも覚えていない。
殴られたことより、壁際に追いつめられて自転車とフェンスに挟まれるかもしれないという恐怖の方が大きかった。

長い人生で見れば、肉体的な痛みは一瞬だが精神的な痛みや恐怖は後を引きずる。
精神的な痛みは攻撃された側だけでなく、攻撃する側もまた抱えている。
痛みと共に生きることは辛い。

私を殴った彼も、今では結婚して子どももいるかもしれない。
彼はあのときの痛みと共に生きているだろうか。


余談だが、この「壁と何かに挟まれるかもしれないという恐怖」は、私の人生にあと2回ほど訪れることになる。

2016年9月11日日曜日

入社当初と現在

2016年現在33歳。
今の会社で働き始めて10年が経った。

働き始めた頃は、まだ若くて初めての正社員だった。
あの頃は会社で一番若く、女性が少なかったこともあり、かわいがってもらっていたと思う。


今では名ばかりだけど役職をもらい、新しく入社した人たちに仕事の相談や指示出しを依頼されることも増えてきた。

最近になって気付いたことだけど、私は若くない。
勤続年数だって、年齢の割に長いと言ってもいいだろう。


やばい。
あの頃私が会社の人たちに求めていたことを、きっと今は求められる側にまわっている。
年齢だって私が入社当初に指示や情報の共有を求めていたあの人たちと同じ位になっている。


それでも困る。

だって、そんな責任感を持って働いてきていなかった。
入社当初はお付き合いしている人がいたし、仕事に対して情熱のパラメータを1割くらいしか振っていなかった。

2〜3年で退職してまた新しい別の仕事をして、そういった転職を2〜3回繰り返して結婚し、子供を産んで、子育てが落ち着いたらパートをしながら家族を支える。


信じて疑っていなかった、私の人生。


なのに、会社の福利厚生がこの地域ではかなりしっかりしているからという打算的な考えと、生来のめんどくさがりの気質が相まって、10年一つの会社を離れることなく居座っている。
そのうえ、彼氏と別れ、役職がつき、後輩が増え、責任が重くなり、お局化。


情熱のパラメータを仕事に全振りできる人なら今の状況を楽しめるのだろうけど、自分の分をこなすので精一杯の私としては、この状況はとても困るのだ。
正直に言うと自分の分すらこなせていない。

それをなぜかわかっていない上層部はどんどん仕事を振ってくるし、結果を求める。


それでは他人の分まで面倒見切れる訳がない。
自分のことだけで必死なのだ。
毎日精一杯頑張っているのに、必死なのに、自分のことでいっぱいいっぱい。


それでも信じて疑っていなかったあの人生はもう手に入らないから、福利厚生が良い今の職場を辞める訳にはいかない。
情熱のパラメータを全振りとは言わなくても、きっと7割くらいは振らないといけないんだろう。

なけなしの情熱を。


たぶん私は来年も再来年も同じことで悩んでいる。
ただ、それは人生ポイ捨てしないように生きているからだと思いたい。


時に投げ出してしまうこともあるけど、結局拾い直す。

そして必死の形相で片付けながら、心の中で泣いて叫んで、朝になったら何もなかった顔してまた出社し、人生を生きて行く。


最近は心の中だけではスペースが足りなくなって自家中毒を起こしかけていることに気付いたので、場所を借りて黒い物を捨て、なるべく自分のスペースを整理して行こうと思いブログを始めることにする。