2016年9月21日水曜日

自転車に乗っている人に壁に追いつめられた話

高校生のころ、学校から帰宅途中に知らない男性に殴られたことがある。
男性というか、まだ中学生くらいの男の子。

その日は学校からまっすぐ家に帰っていた。
夏だったこともあり、まだ日はまったく落ちておらず、たぶん夕方5時〜6時ごろだったと思う。


まっすぐな道を500mほど歩けば自宅に着くという所にさしかかったとき、前方から自転車に乗った中学生くらいの男の子がやってきた。そのとき彼の異常性には気付いていなかった。

彼が私の横を通り過ぎた後、しばらくして後ろから自転車に乗った男の子に追い越された。
その男の子は前方にある居酒屋の広めの駐車場でUターンしてこちらに向かってきた。

そのとき彼の行動に不審を覚えて顔を見ると、先ほど通り過ぎた男の子だと気付いた。
変だ。
そこは歩道も広く、主要道路に近くて目印になる建物も多かったので迷うような道ではなかった。

あいつ何やってんだ…?
と思いながら彼の動向を見ていると、彼もこちらを見据えている。見据えながら、こちらに近づいてくる彼はどんどん加速していた。
そのときの私は不審には思っていたものの、まだ危機感は抱いておらず、どうしたんだろ。急用思い出したのかな。などと能天気に考えていた。
加速して近づいてくる彼との距離が10mくらいになり、私は彼に幅寄せされていることに気付く。

私の左側はフェンス。右側には自転車に乗った彼。よけられない。
そんな状況になっても、私はまだ近いなくらいにしか思っていなかった。


彼が私の真横を通り過ぎる瞬間、彼は右ひじが背中につくんじゃないかというくらい大きく振りかぶり、私の右肩を殴って通り過ぎて行った。
私はフェンスにぶつかりながら、このためか!と思った。
殴られた後振り返ったが、加速を続けていた彼はすでに走っても追いつけないくらいの距離にいた。彼は振り返らなかった。
しばらく呆然としたが、どうしようもないのでとぼとぼと自宅への道をまた歩き出した。
家族にも友達にもそのことは言えなかった。

私は毎日同じことを続けるのが苦手なので、帰り道もいくつかルートがあった。
なので毎日その道を歩く訳ではないけれど、彼を見たのはその日が初めてだったと思う。なので、彼から恨みを買うような覚えももちろんない。
当時はなぜ私だったのか、なぜ赤の他人を殴るという行為に走るのかわからなかった。

今考えてみると、中学生くらいだと自分とその他の人間は違うのだと思いがちだけど、その延長線上の行為だったのだろう。いわゆる中二病というやつだ。
その周辺は貧しい家庭が多い地域で、校区内の中学校は昔から荒れていると有名だったので、ただ武勇伝が欲しかっただけかもしれない。もしかすると、ただ単にむしゃくしゃしていただけなのかもしれない。
いくらでも理由は思いつく。もちろん理解はできないけど。

そこで、ぼーっとした顔でとろとろと歩いている女子高生は格好の獲物だったのだろう。
私は彼から見たら、彼より弱い人間に見えるということだ。

確かに、彼の判断は正しかった。
私は殴られても彼を追いかけることもせず、走り去る後ろ姿を見つめて、見えなくなったらとぼとぼと歩いて帰るしかできない女だった。
しかも、当時はなぜ周囲の人間に言えなかったのかわからなかったのだが、それも今ならわかる。
彼が判断したように、自分が他人に弱い人間と判断されたと知られることが恥ずかしかったのだ。

これはいじめの構図に似ていると思う。
いじめっ子は自分より弱いと思われる人間を探し標的にする。
いじめられっ子は自分が誰かに弱いと判断されたことが恥ずかしくて、周りの信頼できる人に話せない。
相談できない理由はこれだけとはいえないけれど、人間が生きていくうえで尊厳は大切だ。
誰かにこいつは自分より弱い人間と判断され、攻撃されるということは、その尊厳が踏みにじられるということだ。
それを自身で認め、あまつさえ家族や友達に伝えることは簡単ではない。
自分という人間の、人間らしさが侵害されていると口にするのは誰しも容易くないはずだ。
尊厳や人間らしさの重要性は、大人になった今ならわかる。


私は女性なので、殴り合いの喧嘩など幼い頃に兄弟とやった程度で、ある程度成長してからは人を本気で殴ったことも殴られたこともない。成長して殴られたのは、後にも先にも彼からだけだ。
殴られた右肩は、その時はもちろん痛みを感じたが、思っていたほど長くは続かなかった。
今ではその痛みがどんなものだったかも覚えていない。
殴られたことより、壁際に追いつめられて自転車とフェンスに挟まれるかもしれないという恐怖の方が大きかった。

長い人生で見れば、肉体的な痛みは一瞬だが精神的な痛みや恐怖は後を引きずる。
精神的な痛みは攻撃された側だけでなく、攻撃する側もまた抱えている。
痛みと共に生きることは辛い。

私を殴った彼も、今では結婚して子どももいるかもしれない。
彼はあのときの痛みと共に生きているだろうか。


余談だが、この「壁と何かに挟まれるかもしれないという恐怖」は、私の人生にあと2回ほど訪れることになる。

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